私たちは口を使って様々な音を作り、空気をふるわせて相手の鼓膜に届かせます。
そして鼓膜の振動を脳が処理して思考へと変えていきます。
私たちが小さな音楽プレイヤーの電気信号に心を動かされ涙するのも、すべて言葉を理解しているからです。
では言語が違うとどうなのでしょうか。
言語が違うと答えが違う?
チキン食べないよね?と尋ねられた時、私たちは食べないのであれば「はい」と答え、食べるのであれば「いいえ、要ります」と答えますよね?
しかし、英語であれば”Don’t you eat~?”という問い対して食べるのであれば”YES”、食べないのであれば”NO”と答えます。
このとき、Yesの意味を理解していないと、日本語が母語の人と英語の人とでは解釈に齟齬が生じてしまいます。
世界にはたくさんの言語がある
世界には、7千に及ぶ言語が使われているそうです。
それぞれの語彙は意味が異なり、文構造も違います。
言語は、それを理解できる人たちだけの暗号のようなものです。
つまり、言語が違えば現実に対する考えも違ってくるということでしょうか?
言語の違いは考えの違いを生む?

「第2言語を持つのは第2の魂を持つことだ」(神聖ローマ皇帝シャルルマーニュ)
「バラは別の名前で呼ぼうとも変わらずいい香りがするわ」(ジュリエット/シェークスピア)
前者は、言語が現実を作り出すという考えで、後者は言語によっても現実は変わらないと言っています。
こうした疑問に対して、認知科学者のレラ・ボロディツキーは言語が考え方に影響するといいます。
実例を交えた科学的データを取り上げて、その研究について説明しました。
オーストラリア・アボリニジ クウク・サアヨッレ族は右左が分からない?

そのアボリジニの一族であるクウク・サアヨッレ族のクウク・サアヨッレ語(うまく発音できます?)には、なんと「右」「左」にという表現がないそうです。
では、物事の右左をどう表現するのでしょうか?
アボリニジ クウク・サアヨッレ族の左右

「南西の”足”にアリが登っているよ」
「あそこの羊の南南東にいるのが俺の息子だよ」
みたいな言い方をするんです!
突然ですが、目をつむってみてください。
北北西を指させますか?
方角を意識することなんてまずないですもの、まず無理ですよね。
新居を選ぶときだって、方位磁石やスマホアプリの助けなしでは正確な方角なんてわからないですよね。
言語力によって認知力に違いが出ている
アボリジニのクウク・サアヨッレ族は方角を実によく把握しています。なぜならそうしないと実生活の会話にも支障が出てしまうんですもの。
言語や文化が方位に関するスキルを求めたことが、サアヨッレの人々を方角に強くしたそう!
コミュニケーション上の制約が方向の認知を鍛えたのですね。
もし私たちの日本語に左右という表現がなくて、位置関係を方角で表現するしかなかったら、
「私のスマホ取ってくれない?あなたの北北東に置いてあるんだけど」
なんて会話が街にあふれるのでしょうか。
時間の方向

つまり、自分の向く方向によって時間の進む方向が変わりますよね?
振り返って同じことをしても、時間の進む方向は同様に右から左、左から右のどちらかだと思います。
それでは、左右の概念のないアボリジニのサアヨッレ族の人々はどうするのでしょうか。
アボリジニ サアヨッレ族の時間の流れ
アボリジニのサアヨッレ族の人々の時間の表現は、東から西です。自分の身体の向きに応じて方向が変わるのではありません。
自然の向きに沿ったものなのです。
東から西ですから南側から語る場合は右から左へ、そして北側から語る場合は左から右へ並べるということになります。
正確な数字のない言語

「7」や「8」などの正確な数を表す語がないからです。
そういった人たちは量の把握が苦手で、例えば8匹のチキンと8匹のアヒルがいたら、私たちは数えることでチキンとアヒルに共通点を見出しますが、そういったことができないそうです。
ロシア語は青がいっぱいある?
色を表す言葉が「濃い」「薄い」という言葉しかない場合、色の認識も少なくなります。いったいどこに境界線をおくのでしょうか?
対してロシアの場合は青い色という言葉がなく、薄い青”goluboy”と濃い青”siny”を分けて捉えています。
そのため、ロシア人はこうした色の変化や違いに敏感で、反応時間が英語話者や日本語話者よりも早いんだそうです。
文法上の性別 ドイツ語とスペイン語
言語には文法的に性別が割り当てられているものがあります。例えば、スペイン語やドイツ語などです。
太陽と月についてみてみましょう。
太陽は、ドイツ語では女性名詞ですがスペイン語では男性名詞です。
月は、ドイツ語では男性名詞ですがスペイン語では女性名詞です。
お分かりのようにドイツ語話者はより太陽を、スペイン語話者はより月を女性的なイメージとして見ているそうです。
男性らしい橋、女性らしい橋

そのため、ドイツ語話者の場合は橋に対して「美しい」「優雅だ」といった形容を用い、スペイン語話者は「たくましい」「長い」といった男性的な表現を使うんだそうです!
スマホは壊れたのか壊したのか
出来事の表現も言語によって違います。スマートフォンの画面が割れるという事故があったとします。
英語では「彼はスマホを壊した」と言えますが、日本語やスペイン語では「スマホが壊れた」というほうが普通です。
意図的な破壊でなければ誰がやったかについては言いませんよね?
英語では骨折を”I broke my arm”(私は自分の腕を破壊しました)という言い方をします。
日本語の場合、自分の腕を折ろうと挑戦して壊したみたいな狂気的なニュアンスでないと使えないですよね。
事故が発生したのか、はたまた誰かが意図をもって起こした事件なのかは、ひとつの減少をとっても言語によって表現が変わってきます。
刑事責任を伴う状況ではとっても繊細な問題ですよね!
まとめ 言語の違いは考えの違いを生む
これまで、方角や数といった言語表現の違いが考えや認知に影響するとわかってきました。プレゼンターのレラ・ボロディツキーは、言語的多様性が失われていると警鐘しています。
また、これまでの心理学や脳科学実験の大半が英語話者のアメリカ人を対象として研究されてきたことに言及しました。
今まで当り前だと思ってきた科学の知見も、非常に偏った結果である可能性もあるんですね!